のへぴょんのスゝメ

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山田風太郎「ぜんぶ余禄」

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「ぜんぶ余禄」山田風太郎
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山田風太郎インタビュー集です。1998〜2001年にかけて、一ヶ月に一度山田邸にインタビュアーが行って、世情や事件についてボツボツと聞き出したもの。
風ちゃん、最後のインタビューでは79才。あと半年ぐらいだね、と言っていて本当に亡くなりました・・
パーキンソン病で、脚が動かなくなって歩けないのにリハビリもロクにせず毎日のお酒を欠かさず、ほののんと緩慢な死を歩む風ちゃん。
そこにはドラマチックな何もなく、「死ぬまでは生きてるけどねー」という悟りが伺えます。
これって、私の言う「のほほん」なのかも・・・(でもちょっと承服しかねる・・)
何故か承服しかねる気がした、とこを読み解くためにもう少し感想を書いてみます。



この間「若い頃の女性蔑視は一体どうなったんだ??」と謎だと書きましたが、31歳の時に御夫人と結婚され、それからは小説一辺倒、御財布を御夫人に渡し、家のことはぜーんぶ御婦人に任せきりで生きてきたようです。
御夫人はインタビューにたまーに現れて、お茶を出してくる際にインタビュアーから質問され答えています。大抵、風ちゃんのカン違いに対して「いいえ、違いますよ」とやんわり訂正。
例えば○○さんから去年手紙が来たよね?→いいえ、それはもっと前、3年前ですよ、ってな具合。お年なので風ちゃんの記憶は度々怪しくなる(笑)
夜中に3〜5度起きてお小水をするのに何度も奥さんを起こして申し訳ない・・と零したり。お酒を止められてもこればっかりは止められないよ〜とここだけは頑固だったり。
最後のインタビューで「先生の人生で最大の出来事は、奥様と一緒になられたことではないでしょうか?」と問われ「・・・・そうともいえるけど、うーん、なんともいえないね(笑)」と照れてます。
女性蔑視は奥様の出現でなくなったようですねん♪

さて、私が読み取ったところ、山田風太郎の生涯とはーー、幼くして両親をなくし、上京して叔父さんから仕送りを貰いながら医者を志すも、国家試験を受ける前に小説で一旗挙げて医者になるのを止め、結婚し、それからは40年間、大衆小説を書きまくり書きまくって、病気で手が動かなくなり執筆を止め、好きなお酒を飲みつつ亡くなるまで生き続けた・・で、インタビューでは「戦後の人生は全部余禄」と答えておられ、それがこの本の題にもなっております。
終戦、23才、医学を志していた時分、まだ小説家として一旗挙げていなかった頃、しかし私的な事態に関わり無く「終戦」を迎えたあの時点で、ある意味自分の人生は終わっていたようなものだ・・というわけです。
筋肉少女帯の歌に「オマケの人生」っていうのがあったなー・・・・(死んだ後、もしオマケの人生を貰っても多分ロクなことは出来やしない・・自分の人生全体こそ、オマケのようなものだったー!てな歌)

閑話休題。山田風太郎は、「戦中派○○日記」シリーズを見るに、ホント物凄い勉強家であり、もしか医者になっていたかもしれない、あるいは純文学者になっていたかもしれない人だ。つまりスゲー小難しいことをさらさらと考えるタイプなのである。
それが、さらさらと大衆小説を描く方に向かった。書くことには苦痛は伴わなかった。何故なら、風ちゃんにとってそれくらいお茶の子さいさいだったから。
手がダメになって書けなくなっても、別段辛くは無い。何故なら、書かねばならぬ、という必然がそもそもないからだ。
生活のため、あるいは少しの楽しみのため、淡々と仕事として小説を書き綴った。
仕事が出来なくなったから、もうおしまい、と筆を置く。
何も世の中に声高に叫ぶつもりはない。一人の人として、単に死んで行くだけだ。

頭が良すぎたんだと思う。20代の日記を見ていると、俺はこの年にして老衰してるようだ、と言う描写がよく出てくるけれど、確かに悟っちゃっている(笑)
つまり、生きることも死ぬことも何でもないということを。
そう考えれば、どのように生きるかにも大したこだわりはない。ただ流れのままに、そうなっていっただけ。
その頃の思想から、全然変わっていない上、その通りの人生を全うしたのだ。
確かに、終戦後は「ぜんぶ余禄」だったかもしれない。

でもナンだか淋しいな、それじゃ淋しいな、って。
私の心の奥にじわじわと広がってくる。
多分、いくら戦中派天才老人・山田風太郎って言われたって、それは大衆小説なわけだから、夏目漱石バリに名が残るということもなく・・
いや、そんなことじゃない。世の中のこととかじゃなくて、個人の人生としてなんか・・・風ちゃんは「人生」なんて送りたくなかったのかもしれないけど(大仰な文字の意味として)
こんなに悟ってて楽しいのかな。
そりゃ私が知らないだけで、奥様と物凄いアバンチュールがあったのかもしんないけど(笑)
言ってみりゃ一番当たり前な意味で「人生」を送ったのかもしれないけど。
どーにもこーにも「残念」に思えてならない。

天才、といっちゃアレだけど、「秀才」ではあったと思う。
だから、頭が良すぎたんだ。

悟っちゃったんだ。

纏まりがないけれど、私の脳もまだまとまりがないので、この辺で〜〜
でわ、「戦中派不戦日記」より死生観の見える1月21日の文章をお届けして終わります。

「べつに今の病気により出したるわけではないけれども、余は死を怖れず。勿論死を歓迎せず。死はイヤなものなり。・・・・・しかれどもまた生にそれほどみれんなし。生を苦しと思うにあらざれど、ただくだらぬなり。金、野心、色欲、人情、もとよりわれもまたこれらより脱する能わず。しかれどもまた実につまらぬものにあらざるや。五十年の生、これらの万花万塵の中に生きぬきて、しかも死や必ずこれにピリオドを打つ。而してその後にその生を見れば、その生初めよりこの地上になきも殆ど大差なし」

その身体、既に塵に還り、
山田風太郎、死して小説を残す。

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「戦中派焼け跡日記」感想はこちら

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